国語授業のあれこれ

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正解はないけれど・・・

創造思考、未来志向には「正解のない問い」があります。と言われています。

これ、確かに正解はないと思うのですが「不正解」は厳然と存在するのではないかと思います。つまり、正解のある時代は、正解以外が不正解だったのですが、正解のない時代は、不正解がまずある・・ということです。

また、正解のある時代の正解とは100点満点のことですが、正解のない時代の正解は、60~70点かもしれません。少なくとも、満点はないと思います。

 

さてさて、で、小論文の指導をしないといけないのですが・・・

これはだめ・・・ってのはあります。事実誤認、因果関係の破綻、出題の意図からの逸脱などです。

でも、「こう書けばいい」というのはありません。

それは、これはだめ・・・を踏まえて、自分で考えていいことなのです。これが「自由」ってことなのかもしれません。

 

聖書には「戒律(やってはだめ)」と「このようにしなさい」とが、因果関係となって書かれています。親切ですね(笑)。でも、これだと多様性は生まれにくいような気がします。

で、自由社会になると、「自分の思うようにしなさい」になるんですね。でも、聖書の戒律(これはやってはいけません)は、共通の部分があると思うのです。つまり「これはだめ」は共有したままの方がいいと思うのです。

近代以前は「これはだめ」「こうしなさい」の両方を共有していたのですが、近代になって「これはだめ」は知恵・真理として共有した方がいいと思うのです。やってはいけないことの共有を踏まえて、個人の自由を行使することが、多様性だと思うのです。

 

今は、とにかく「戦争だけはだめ」を、世界の共通認識にできればと思うのですね。

で、小論文もそうで、「これ書いたら不合格」ってのはあると思うのです。でも「こうすれば合格」はない。満点答案ってのもない。現代社会は「ジレンマ」を常に内在するので、相対的に優れているものが合格になるとしかいいようがない。

 

これ、ちょっと掘り下げてみます。