国語授業のあれこれ

アクティブ・ラーニングや教材研究のための書庫です

ちょっと吐き出し・・・

生徒による授業評価アンケートの自由記述欄には、結構激烈な文字が並んでいるものもありました。40名のクラスで1~3名ですね。

こういうことを書く生徒の、根源的傾向は前回書いたのですが・・・こうした批判は、私だけではなく、他の先生方も以下同文のようです。そして、毎年あるそうです。

 

いろんな考え方があって、こういう形でガス抜きしてしまいましょうという発想。

授業評価アンケートのマイナーチェンジを考える発想・・・それは様々です。

 

私は、やっぱり数日悶々とはしました。完全な人格否定でもありますし、建設的な発想が一つもない、憎しみのこもった文章を見て、そんなに平穏な気持ちでいられるほど聖人君主ではありません。

そこから少しふっきれたのは、やはり自分の学びからです。感情から離れた学びの従業性を再認識しました。

 

長期的な価値を創造すること・・・という言葉と最近出会い(本当は再会だと思うのですけどね)、アンケートの批判を、この視点で見直したとき、そこにこだわることに、長期的な価値の創造とつながることを見いだせなかったのです。そう考えた時、この批判について、感情的に反応することから、少し逃れることができました。

そして、この批判の根源や、批判者が必要としているものを考える方向に、自分が流れていきました。

 

やはり、大きいのは「学校の授業は、役に立たない」という価値観です。

基本的に、こういう価値観をどこかで強く持ってしまった生徒は、教員の眼から見て、学校生活がうまくいっているように見えません。

少数の固定された人間関係の中で、定期テストで失敗しないというモチベーションだけで直前に勉強し、体育大会などのイベントで活躍することが居場所形成にはなっていますが、自分の将来はみんなと同じように大学に行こうと思っているけど、学校の授業は人生にも、受験にも役に立たないので、真面目に受ける気はない・・・。でも、大学には行きたい。行けないとしたら、それは学校のせい・・・。だって授業わからないし、面白くない。というか、授業、聞いていなくても寝てても、テストは点数取れるから意味ないし・・・

という感じでしょうか。

 

別に、これを批判しているわけではありません。現在の「学校」という問題を非常にクリアについていると思います。

では、その学校の問題は何か・・・というと、それは、教員にもある「短期的問題解決の発想」だと思います。

 

要するに、受験で合格させる、進学率を高める、国公立を増やす・・・そういう世間(顧客)の要望・評価に対して、やっぱり、その場しのぎの価値観・発想で対応しているような気がします。私もそうでした。

特に、勤務校は「コース制」なので、合理的にゴールを達成したいという発想の生徒が集まりやすいです。本来は、コース制で、狭く・深く、探求的な学習をする・・・というのが創設当初の目標だったと思いますが、いつの間にか、苦手なことを避けるという面が中心になってきました。これは、美しくないですね。

 

そこに私が登場します。

高校3年生、入試問題を解けるようにする、初見の問題を解けるよう力を身に付ける・・・という、受験に対する長期的価値創造をしようとすると、考査で赤点を取りたくないという価値観との対立が生じます。

やがて、私大希望の彼らは、入試科目として国語を棄てます(現代文なしで受験できる大学があるんですよ・・・)。

ただ、現代文では、ALを導入して、主体的な発想、コミュニケーション、文章表現、論理思考などの理解を求めています。これは、他教科への派生が生じます。

しかし、こうした授業目的は、「こくご」ではないというのが彼らの価値観です。そもそも授業や学校は役に立たないという価値観に支配され、それで自分を守っているので、なかなか難しいです。

 

授業や学校が役に立たない・・・その発想は、すでに未来を知っているということだと私は思っています。誰が決めたのか? 

これから大きく変化する未来に対して、なぜ、今の学びが役に立たないと断言できるのか?? 役に立たなくしているのは誰か??

・・・これは、短期問題解決だな・・・ダメだ。

 

今の想いを、社会で役に立てるならば、どのような人生の選択があるのか?? 

これだと、少し、長期的価値創造になるかな??

 

短期的問題解決を否定するつもりはありません。

問題解決で重要なのは、長期・短期という両面の組み合わせだと思っています。

使い分けといっても良いですね。

 

で、今回の激烈な批判を書く生徒の傾向は

 学校や授業は、自分の役に立たない、受験にも未来にも

という強い思い込みという理解になります。

で、ここから長期的価値創造を導くにはどうするかが大事です・・・

 

こういう彼らが求めているものは、必要としているものは何か?? という問いができます。

 

このままではいけない・・・という気づきはあるんだと思います。

でも、そこで自分が変われないんですね。

それは、小さな・固定的人間関係の中にいると、自分を変えることができないんです。

固定的人間関係のデメリットはそこにあって、自分の変化や成長を疎外する可能性があるんですね。これが大きいような気がします。

特に、コース制で、2~3クラス=80~120人程度の集団で3年間という時間を送る、学力の幅が広く、意欲も様々・・・という集団の中で、否定的な感情を軸に集まった同士=固定的人間関係は、なかなか崩れません。そこから逃げ出すこともできません。居場所がそこに固定されているわけですから、身動きが取れません。

 

そーゆーことなんですね。

こう考えれば、ここから逃げ出したいということなら、この批判に価値を見出すことができます。

では、どうしましょうかね(笑)

 

 

 

 

 

最後の質問がいいかな(笑)。