国語授業のあれこれ

アクティブ・ラーニングや教材研究のための書庫です

国語を実技教科にしよう

という目標ではじめて、間もなく考査。

 

具体的には論理思考、トゥールミン・ロジックの取得・活用がありました。

つまり「論理」という共通言語を身に付けるということです。

 

論理的に考えること、言語を身に付けることには共通の問題があって、通常の思考回路、日常レベルの発想では身につかないということ。

これは、論理的に考えるぞ! というスイッチをいれないと、そういう思考回路にならないということ、また言語の取得は、間違いや失敗を重ねる中で「学習」していくものということ、・・・つまり、挑戦して失敗~修正~失敗~修正の無限ループの中で、気が付いたら身につくものなんですね。

 

確かに、母語は習わないもんな(笑)。

気が付くと喋っている、気が付くと教員らしい発想に染まっている、っぽい言葉を使っているということですね。

そこには、失敗を繰り返す中で学び、気が付いたらできるようになっていた・・・ということですね。

 

そうか・・・正解丸暗記の学習には、挑戦~失敗~修正のサイクルがないんですね。

或いは、挑戦~失敗~正解丸暗記という間違った学習になっているということですね。

 

そう考えると、金曜日のクラスが淡々とうまくいった理由の一つがわかります。

挑戦~失敗~修正のサイクルの中で、成功に達したということですね。

そうか、成功の自信が、いろいろな人に答案を見てもらう、見せ合う、言葉で説明し合うということの背景と言うか、根源にあったんですね。

 

答案に自分の意見を書いてはいけない

出題の意図を理解して答える

全文を読み理解した上で、傍線部周辺をよく読む

解答構文で答案を作る

時間配分に気をつける

いろんな人の、いろんな答案や考え方を知る中で、自分の答案が変化してきて、そして模範解答に近づいていったということでしょう。

言葉で説明することも、最初はうまくいかなかったのですが、繰り返して自分の理解が深まれば、説明は自ずからうまくなる・・・そういう段階に近づいてきたのかもしれません。

 

変化に強い人、変化に弱い人というのがいます。

私にも、強い部分と弱い部分とがあります。

今、教室で負のオーラを放っているのは、どちらかというと、変化に弱い人ですね。

それは、できない理由を探すタイプの人、誰かのせいにしたい人、大人は嫌いだけど大人に頼りたい人、先生は嫌いだけど絶対視している人、そっか・・・自己の中に矛盾を抱えている人ですね(笑)

・・・自己の中に矛盾を抱えていれば、変化に対応できなくて当たり前ですね(笑)

 

それは、意味を考えずに言われるままに従ってきた人もそうです。

自分で意味を考えずに過ごせる楽さと、意味を理解できないことをやらされる反発心との間で、でも、やっぱり自分で意味を考えることができず、それを教えてくれと主張しても教えてくれない(のが当然ですよね)、そして自分で考えても出てくるのは、できない理由、やらない理由ばかりで、前向きになれない。

でも、きっと、本当の意味はわかっているんだけど、認められない。

そんな矛盾の重なりが、ここまで積み重なってきているのかもしれません。

 

さて、本題にもどして・・・

論理思考や言語の取得は、挑戦~失敗~修正という学びの繰り返しです。

その中で、なぜが理解できて成功に至る人と、無意識に正解にフィットしていく人と、二種類の人がいるかもしれません。

成績上位者や、センスの良い人、それこそ教員になる人なんかは無意識フィット組が多いかもしれません。

そういうなかで、失敗から学びを取り出して理解に結びつけること、成功から学びを取り出して理解に結びつけること、二刀流で進めることがいいかもしれません。そこの意識と言うかストライクゾーンの広さが必要のようです。

 

うまくいっているグループ、クラスは、Warrantがさ~~という言葉が交わされています。つまり、ロジックが共通言語になっているんですね。

私に質問したがる生徒は、この共通言語がまだ身についていない生徒のようです。

もちろん、私を批判したがる生徒も、同様です(笑)

 

そっか、クリティカルに発想・思考するってのは、共通言語をもったうえで、さらにそこから・・・なんですね。

そう考えると、古文・漢文の重要単語・重要文法、わびさび・無常観、和歌の技法・・・なんてのは、まさに共通言語なわけで、これは失敗を繰り返した学びの先で身に付くもの・・・そういうことなんですね。

 

まねぶ~成功をコピーする~意味が分かる

まなぶ~失敗と修正を繰り返す~意味をつかむ

 

早くて合理的なのは「まねぶ」ですね。

これは、封建制度が背景にあって成立しやすいのかもしれません。

これからは「まなぶ」かもしれません。

失敗の繰り返しを伸びしろと考え、そこで身に付く周辺情報が、より深い意味の理解、独創性、主体性を導くってことですね。

 

でも、このまねぶとまなぶとを一体化した言葉が「まなび」ですね。

理想と現実、楽しさとしんどさ、自由と義務、その間に存在するものが「まなび」

まさか、これを「折り合い」っていうのですかね。

つまり、折り合いってことで、みんなが幸せになるってことか・・・。

みんなが幸せになれば、折り合いをつけて少し諦める・妥協する我慢する・・・そういうことが、後から帰ってくる可能性が・・・高いなぁ・・・。

 

5教科7科目準備するってこと、推薦・AO入試の準備と受験勉強、学校の勉強と受験勉強、高校の学習と大学の学習、学校で学ぶことと社会で求められること・・・これをすべてイコールにする・・・ってことは、折り合いなのかもしれない。

 

ある意味で、今までやってきた中学・高校の学習とは異なるかもしれないけれど、その修正ができれば、後からかえってくるものが、限りなく大きい・・・。

 

目の前の学びと自分の未来をイコールにする、

未来と自分とをイコールにする、

初見の問題、はじめての経験を乗り切る力をつける

 

そっか、わたしにとっても初めの経験が今年はたくさんあります。

まず、生徒の相談では、全文を理解すること、傍線部の周辺をよく見ることをこころがけよう。

全体をよく見よう。そこから意味をつかもう

鳥の眼、蟻の眼、魚の眼か・・・。

自分にないじゃん(笑)。

でも、コーチは、自分にできないことでも、選手にできるようにすることができる。

それは、経験と言う蟻の眼ではなく、選手全部の理解という鳥の眼・魚の眼から。

 

経験からくる他者理解の不全から脱しよう。

まず、自分がそうなることで、授業の精度を高めよう。

まずは、そんな一日。