国語授業のあれこれ

アクティブ・ラーニングや教材研究のための書庫です

対照的な4つのクラス

ALがついに生徒内で火を噴いたのが4時間目

動く、しゃべる、理解する

設問少な目、説明も少なめ、演習多めもその理由

この演習の本質を簡潔に説明したのも効果があったのか

振り返りシートには、3人以上と話すとわかりやすい、楽しい、と

また、トゥールミン・ロジックを利用した解法を理解し、私と「Warrant」が弱いよね・・・という会話で通じる生徒がうまれる。

 

2時間目は低調・・・

演習の本質が理解できず、取り組みが低調。

学力は高い集団ですが、その前の「意味」「本質」で留まっていることを感じます。

 

1時間目はよく頑張ったのですが、課題が多すぎたか??

ただし、全体にタイムマネジメントの発想があまりない。

与えられた時間内で設問を完成させるための時間配分を考えることなく、受動的・機械的に作業にかかる様子がよく見える。

これは5時間目も同じ。

学習・学力の問題ではなく、タイムマネジメントの問題。

 

そういうことが、私に見えてきた・・・ということなのかもしれません。

やはり、余るくらいの演習時間を与えた方が、深まる、混じる。

時間が余って固まっている集団を見たので、その反動でやや設問を多めにしたことが、生徒の学び、相互学習を妨げていることを感じます。そのあたりは、基本に戻って取り組むことが大事ですね。

 

さて、では本質とは???

 

模範解答を写す、覚えるだけでは、次につながらない。

別の場所に傍線部をひいて、同じような問題が出た時、模範解答を書くことはできない。

なぜこの答えになるか、なぜ・どこで間違ったのかを理解すれば、次、似たような問題が出た時に、模範解答を書くことができる。

今行っている演習は、本質的な力を身に付けるものなので、これによって、考査・模試・本番の入試で模範解答を書くことができるようになる。つまり、「次」につながるものである。

 

また、相互採点で説明し合うことは、「意味の理解」につながる。

抜き出しただけでは正解にならないのは、意味を理解していないからですよね。

意味を理解していれば、適切な言葉を、自然と補うことになる。

意味を理解するために、説明をする、説明を誰かに聞いてもらうのです。

意味の理解は、納得できたとき、腑に落ちた時、達成しています。

これ積み重ねるとどうなるか・・・

全クラスそうですが・・・

 

・解くスピードがあがっている 

 → 結果、採点~説明~理解の時間を長くとることができる→深まる

・答案の形がよくなっている

 → 結果、採点しやすい、間違いに気づきやすい

・問題文に印をつけたりしながら読む人が増えている

 → 結果、本文の理解も深まっている

・3人以上の話を聞く人が増えている

 → 結果、いろんな情報が入ってきて理解が深まっている

・トゥールミン・ロジックを使いこなす人がでてきている

 → 結果、より早く、より正確な模範解答を書く人が増えている

 → 結果、クラスの話題がトゥールミン・ロジック中心になっている

・できない、わかんないを素直に表明できるようになっている

 → 結果、教えてもらえる人や機会が増えている

   結果、教える人が増え、その人の理解も深まっている

   結果、最初あった男女の壁、日常のグループの壁がなくなりつつある。

・採点前に、答案を見せ合ったり、質問し合っている

 → 結果、答案の質があがり、模範解答に頼らない理解が進んでいる

 

なるほどな・・・って思います。

人間力とか、生きる力ってこういうことだったのですね。

そう考えると、実技教科の大切さがわかりますし、講義型授業の限界もわかります。

このような人間力、生きる力を身に付けた「アクティブラーナー」であれば、それでも大丈夫です。というか、昔の日本は、そういう人が教育を求め、そこで議論を尽くしたわけですよね。

でも、生徒はまだ「普請中」なわけで、そこでは「アクティブ・ラーニング」をすることで、アクティブラーナーに成長してゆくことを導かないといけません。そういう、もともとの人間の姿、人間の本質を取り戻すことを、高校3年生の今、実現しようとしている・・・ってことですね。

今日の「白熱教室」はALの可能性を教えてくれました。

このクラスの先行事例を共有することができれば、と思います。

説明なしで、アイデンティティを理解し、本文の本質を読み取った生徒、この力の育成を、これからもという感じです。