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国語授業のあれこれ

アクティブ・ラーニングや教材研究のための書庫です

忘れないうちに

生徒のせいではないという発想から出発すること

 

前任校が、まぁ、その、あの、ははは、すごい進学校でした。

私より、あらゆる意味で素晴らしい生徒の集団であり、個々の集まりでした。

そんなわけで、何かあるとすると、それは教員の方に問題があるってことなんです。私のような人間には、それはそれは、もう、壮絶なプレッシャーとストレスの日々でした。でも、そこで学んだものは、本当に大きかったです。

 

今の学校の生徒についても、生徒のせいではない・・・という発想から出発したのが、今年のALです。

まだまだ試行錯誤の日々ですが、そこには、学問の「幹」の理解、教育の「幹」の意識が必要であり、そこからどう枝葉を伸ばしてゆくかに、生徒の可能性・伸びしろがあるということがわかってきました。

ALをやってみると、もちろん生徒を信じているのですが、やはり、決まった知識を一斉に与える場面、解説がないと理解できない場面というのはあるわけで、それを積み重ねていくと、10分程度の授業=講義でも、今までの全講義授業よりは、明確に知識の積み重ねが可能になっているような気がします。これが「幹」ってやつなのかもしれません。

 

確かに、導き方で生徒の理解は、本当に全然違います。

また、正解に至る道筋についても、その背景や価値観の部分でよく見えます。

 

短時間で正解にたどり着く生徒は、本文全体をつかんでいます。

なかなか正解にたどり着けない生徒、理解・納得できない生徒は、傍線部とその解答部分を探すだけに終始し、本文全体をつかんでいません。

で、後者のような生徒がうまれてしまうのは、教員側が解くテクニックとして、こことこことこことがポイント・・・という指導に終始し、本文の意味やその背景にある社会的現象・事象、哲学的思考、倫理的発想にいたらないから、「部分」だけをみて解く生徒ができあがるのではないでしょうか。

 

俯瞰的視野の必要性、ドローン的発想が求められています。

そういう話題が「幹」なのでしょう。

俯瞰的視野、論理的思考、他者に伝える表現は「意識」しないとできません。

日常生活は、身近なことを、感情的に、自分で受け止めるのですから。

この「スイッチ」を入れることを、そろそろ生徒に伝えてみようかと思います。

 

そういえばある生徒に聞かれました。

「おかあさんとも話していたのですけど、勉強できない人が東大に合格するって話がありますけど、そんなの違いますよね」

前任校の生徒たちを思い出すと、その努力・能力のすごさ、何よりも自らそういう環境を作ることができるチームワークに感動すら覚えます。

では、今の学校の生徒にそれは不可能なのか・・・というと、絶対無理とは断言できません。頑張れば東大に絶対に入れる・・・というほど現実は甘くはないことはよくわかっているつもりです。でも、こちらで必要な導きをして、彼らの能力を引き出すことができれば、不可能ではないということは言えるような気がします。

 

今のAL授業、毎時間の演習は、毎回定期テストを受験しているようなものです。

年に4回しか書かない答案を毎時間書いてその修正を行っています、毎時間。

これが年間で60回くらいあります。

1回の授業の尊さが身に沁みます。これを積み重ねて幹を太くすれば、どんな入試問題にも対応できます。

 

金曜日の授業で、単元テストを実施しました。

今まで協業的に行ってきた演習に、一人で立ち向かわなければならなくなったのですね。その時、何人かの生徒は、おそらくはかつてそうであったように死んでしまいました。テストの点数も低いですし、何よりも取り組みの姿勢がAL授業では見たことがないほど死んでいました(笑)。

 

これから必要かもしれないことは、協業的感覚をテストでも持ち続けることかもしれません。それがないと、模試や考査でAL授業で身に付けたものが発揮できないと思います。そーかー・・・ここが結果を出すためのポイントなんですね。

試されることへの嫌悪感、不信感、自己喪失感・・・そういうものにも対応してゆくこと、これがソーシャルスキルやマインドセットとして必要になる・・・なかなか大変です。やはりAL深いです。