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国語授業のあれこれ

アクティブ・ラーニングや教材研究のための書庫です

下流志向?

 働かないことや学習しないことを誇りに思う新しいメンタリティー(考え方)のこと。内田樹が『下流志向』(講談社、2007年)で命名した。近年、社会的格差や若い世代の労働意欲の低下を問題視する議論が盛んだが、これまでの議論との違いは、学習しないことや労働しないことを気にせず、むしろ誇りに思うメンタリティーが出現したとする点である。内田によると、その背景には「自己決定」と「等価交換」を過大視する風潮がある。つまり、自分で決めたことならばどんな内容でも価値があると見なすことで、学習しなくても自信を持つことができる。また、不快やコストに対して直接の見返りがあること(等価交換)を当然視するために、一見無駄と思えることはあえて我慢して行おうとしなくなる、というのである。実証的に裏付けられた議論ではないが、例えば近年の教育の実学志向や資格志向には、等価交換を求める傾向が表れているように見える。しかし人生も社会も功利性だけで成り立ってはおらず、自己が決定したことならば何にでも価値があるというわけではない。贈与や他者への介入など無駄に見えるコストも必要である。これまで親密圏が提供してきたこれらのコストを、親密圏の範囲が縮小するなか、どのような形で再生するのかが問われている。

(野口勝三 京都精華大学助教授 / 2008年)

知恵蔵より引用

  確かに生徒の一部にこのような傾向を見ることができます。

 勉強なんかしないぜ、授業って何・・・というアピールがあります(笑)

 この教科、この勉強は受験に必要ない、嫌い、つまり無駄だからやらないと決めているという思考もあります。つまり不快を我慢してもその見返りはないんだからやらない。それを強制する学校や先生はむかつくってことですね。

 自分の知識や経験を人に伝えることを怖がる、或いはそういう人を悪く言うのは、親密圏の縮小ということだと思います。ですから、親密圏内と圏外とで、極端に人間関係が変わる。当然、生徒はクラス内、同性内で最低限度の親密圏内に自分がいることをアピールする必要があるわけで、ここから自然と同調圧力が生まれる・・・。

 一言で言えば「下流志向的アピールに対する同調圧力がかかっている」ということでしょう。

 では、生徒の下流志向を応援している、支えている、導いている存在とは?? ということになります。

 誰かを敵にしないとまとまれない幼さって何?? ってことになります。

 負の同調圧力に苦しんでないの?  悩んでいないの?? って思います。

 そして、下流志向、敵、同調圧力から生徒を解放するためにはどうしたらいいのか??と思います。

 特に学習について、その具体的方策はとも思います。

 

 とここまで書いて思ったのは、この学校の生徒は、結構、教員への相談や質問ってのはあるんです。逆に言えば、依存度は高いんです。

 それは結局、生徒間で発生した問題、自分に発生した問題に対して、生徒同士で解決することができないか、そういう発想がないことを意味するのかもしれません。

 あるいは、同級生には弱みを見せることができない、困った時に相談できない・・・そういう「孤独」が深いのかもしません。つまり、本当に親しい少数にしか言えない。なぜならば、同調圧力に抵触するような発言があった場合は、総攻撃が待っているから、そういう思いと言うか、確信があるのではないかと思います。

 

 おそらく、本当にそういう攻撃をする奴は、いないか、いても少数だと思いますが、そこはネット社会で育ってきた現代の高校生です。やはり極端な怯えを感じるのではないでしょうか。つまりパノプティコン社会の構図がそこに見え隠れします。

 では、教員はそこでなぜ何もできないのか・・・それはシノプティコン状態にあるからですね。つまりかつて生徒を一望で監視していた教員は、逆に生徒・保護者・世間という多数の眼から監視される存在になってしまったのです。

 そうか、下流志向の生徒は、監視することには熱心です。枝葉にこだわりますね。

 そして一致団結して教員の一挙手一投足を監視し、勉強しないでいい理由を見つけ出します。それが、クラスの空気を支配するという構図なのかもしれません。

 

 これを、アクティブ・ラーニングは破ることができるか・・・ということですね。

 それはわかりませんが、同調圧力をこえた学びの場、枝葉ではなく幹の大切さ、学び以外の生活の場での過ちの指摘は可能です。アクティブ・ラーニングは方法であると同時に、思想というか、精神というか、未来のあるべき姿を示唆するものですが、それはアクティブではない・・・という指摘で返すことはできます。

 そして、人間関係における同調圧力をこえたところに、文字通り「正解」があるわけで、これを求めるためには、同調圧力は邪魔になります。

 賢い生徒は、同調圧力をこえて動くことができます。その輪を大きくしてゆくしかけをつくる、あるいは教員の態度・姿勢・声掛け・価値観で誘導してゆく、そういうことが勤務校におけるアクティブ・ラーニングの課題、私の課題ということなのかもしれません。

 

 生徒が苦しんでいるのは同調圧力、それを支援しているのは下流志向によるパノプティコンと教員に対するシノプティコン

 となると「フラットな人間関係」「良い意味で場面ごとの人間関係の使い分け」などを構築することが、私自身に必要ですね。

 う~ん。少しスッキリしたかも。