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国語授業のあれこれ

アクティブ・ラーニングや教材研究のための書庫です

自分の中の、公と私

 授業単元の評論文の中で、公私について言及している部分があるので、ここを掘り下げてみると、生徒たちは、自分の中の公と私について、自覚が弱いことがよくわかりました。

 自己紹介させると、そこで述べられている内容は、実は「公」の部分、つまり与えられていること、所属していること・・・でしかないんですね。

 つまり、個人としての「私」や、自由を含む「私」が弱い・・・。

 そういうことに気付いてくれたとも言えますし、私も気づきました。

 

 うまく行き始めたクラスもあれば、そうでないクラスもある。

 うまく行き始めた個人もいれば、なかなかう~~んな個人もいる(笑)。

 アクティブ・ラーニングの恐さと言ってもいいと思うのですが、一斉指導や講義型授業よりも、ある意味で、そのクラスの個性、個人の個性が浮き彫りになります。

 現代社会は、封建的価値観と個人の自由というある意味で矛盾した価値観が同郷しているわけですが、それがもろに見えます。

 能動的か受動的か。主体的か依存的か。それがもろに見えます。

 で、ここで能動的・主体的なメンバーを応援してゆくのが大切なようです。

 振り返りシートを見ると、かなり進んでいる生徒も多いです。ただ、そういう生徒は、意外と目立たない感じもします。

 

 全体的には、「いままでのままではいけないようだ」ということに気付いた感じです。答案を作るにしても、本文を読むにしても、何にしても、どうも今までこれでいいや・・・と思っていたことではダメらしい・・・ということに気付いたということです。

 そこで、どうすればいいか・・・の壁が待っているんですね。

 ここを、みんなで乗り越える、いろんな人の知恵を結集して一つの考えを構築してゆく・・・そんな発想が欲しいところです。つまり、先生とか、わかっている人に教えてもらう、頼る、依存するではなく、みんなの異なるわかったをかき集めて正解にたどり着くという発想が必要です。

 となると、生徒に与える時間をもっと増やす必要もあります。

 やはり、もっと混ざること、混ざる先にあるものをある程度示すというか、提案してみることが必要かもしれません。

 そういうことを、そろそろ生徒に提示して良い時期なのかもしれません。

 アクティブ・ラーニング、やっぱり深いですね(笑)

 生徒の様子を観察すること、わからない!という叫びにも耳を傾けること、ひょっとすると「わからない!」という叫びは、成績上位者というか、本当の意味での「探求者」が新しい世界に入りつつあるサインなのかもしれません。

 思えば、ちょうど一か月経ちました。

 今日は、勝利も敗北もありました(笑)

 でも、ここから、この先に、また新しい世界が待っているようです。

 ここを、つき抜けたいですねぇ。