国語授業のあれこれ

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授業のためのメモ(前半)

 公私という言葉があります。

 人の存在は、公的な要素と私的な要素からできているんですね。

 このような発想を「二元論」と言います。

 

 自己紹介をしてみてください。

 ではその自己紹介を振り返って、公的な自己と私的な自己とにわけてみてください。

 自己紹介の公的要素を、本文では「社会的コンテクスト」と表現しています。

 所属(国籍、家族、性別、年齢・世代、学歴、履歴、資格など・・・)は社会的コンテクストです。本人の意思でないもの、責任でないもの、封建制度で人を表現していたもの、公的に評価される経歴などで、本文中では「封建的くびき」とも表現されています。

 封建社会=身分社会=家父長制度=世襲制においては、社会的コンテクストがすべての価値観でした。そして疑問を持たず、同じサイクルを繰り返し、受動的に受け容れることが美徳です。いわゆる「一元論」ですね。

 しかし、このような価値観に疑問を持つようになって近代が誕生します。

 

 所属ですべてが決まるのはおかしいのではないか・・・という疑問がふくらみ、人間には公と私とからできている。そして、公=封建的価値観が、私=自由を抑圧・拘束・疎外しているという発想に進んだのです。

 そして、市民革命が起こり、封建君主が追放され、市民社会が誕生します。

 市民社会では「個人の自由」が認められます。

 具体的には「職業選択の自由」「婚姻の自由」です。身分制度や家父長制度からの解放ですね。好きな仕事、好きな人を選んで良いということです。

 これが「自由の原点」と言ってもいいでしょう。

 

 で、社会的コンテクスト、悪い言い方をすると「封建的くびき」をもう一度考えてみましょう。

 社会的コンテクストのメリット、デメリット(封建的くびき)

 ・自然に与えられる⇔変更や放棄することができない

 ・努力や意思がなくても与えられる⇔一生背負っていかなけれならない

 ・評価の対象になる⇔その評価は、自分の意思とは関係ないこともある

 ・レールが敷かれている⇔そのレールから外れることができない

              レールから外れると社会から評価されない

 ・自分の考えや意思が不要で楽⇔周囲の人の考えや意思に支配される

                 自分の考えや意思は周囲から評価されない

 

 このデメリット(封建的くびき)の方が大きくなって「近代」が誕生したのです。

 でも、近代はまだまだ構築中です。

 封建社会は、西欧で2000年以上、日本でも1000年以上続いた完成度の高い社会システムです。また、運命に逆らわず生きることを受け容れさえすれば、こんなに楽な生き方はありません。そんなこんなで長い間継続しました。

 近代=自由社会は、日本だとまだ150年です。まだ未熟なんですね。

 そこで、現代社会はまだ、封建的価値観と自由主義的価値観とが同居しています。

 人間は、まだ「完全な自由」を理解、実践、享受できていないみたいですね。

 例えば

 ・自由=能力のある人には天国、能力のない人には地獄

 ・平等=能力のある人には地獄、能力のない人には天国

 です。

 また、学歴というのは個人の自由、努力によって手に入れたはずのもので、本来ならば社会的コンテクストには入らないはずのものです。

 近代社会は、封建時代の身分制度はなくなったことになっています。しかし、身分の代わりに学歴を新しい身分とみなしています。これを学歴社会と言います。ので、学歴も社会的コンテクストに入っています。

 しかし、こうした価値観が、マジで終わりを迎えつつあります。