国語授業のあれこれ

アクティブ・ラーニングや教材研究のための書庫です

自分自身も振り返ってみる その2

 未来と言っても、私たちの世代にはあまり現実感がないものです。

 特に、地方都市においては、祖父~父~息子が、同じ幼稚園~小学校~中学校~高校~大学~お仕事・・・という世襲制のような方も珍しくありません。

 でも、現在の若者たちにとって、ちなみに現在の高校2~3年生は2000年の生まれです・・・未来は現実です。

 日本の人口減、世界の人口増が現実に始まり、AIの進歩、遺伝子治療の進歩、自動運転、宇宙エレベーターなどはすでに開発に着手し、実現可能な領域にあります。そして、その先の研究がすでに始まっています。

 ここにきて、科学が急速な進歩をみせ、倫理や道徳の確立が急がれ、競争から協同に意識を変えていくことが必要です。

 これが、現在の10代が生きていて、しかも生産人口の中心になる時代に「未来」がやってきます。

 もちろん、現在20代の若手教員がバリバリ現役の時代にも「未来」がやってきます。講義中心、教員主体の授業というわけにはいかないでしょう。

 AL型授業を実践、提唱、推進している人は、みんなこの点で共通でした。

 「未来を創る」ということに、希望と危機感とを同時に持っているのです。

 希望とは、若者の持つすばらしい能力であり、危機感とは大人の固い頭と既成概念、未来に対する無責任さ、新しいものに対する敵意などの保守的な発想です。

 

 現在の中学3年生から大学入試が変わり、小学校1~2年生は義務教育の早い段階で英語やプログラミング教育をうけます。その是非はここでおいておきますが、いずれ、このような教育の中で自分を高め、試験を突破した人間が大学に進み、会社で働き、教壇に立つ日が来ます。

 その時、古い教育しか受けていない人間は、どうなるのか・・・。

 最悪、社会のお荷物になるかもしれない。

 もちろん、古き良き教育のエッセンスは必要です。講義型授業も必要な場面があります。また、そういう授業で伸びる生徒や、その方が合理的な学習である場面もあります。同様にALの方が非合理的な場面もあるかもしれません。

 (でも、ALの方が非合理的な学習は、反転授業で解決できるような気がする)

 しかし、ここで、アウトプット学習、探求学習を「授業」で行うこと、また多くの人とグループで物事を達成することを「授業」で知るという体験を積ませること・・・。

 つまり社会・会社の仕事の進め方と一緒であることですね。

 ここが、大きいような気がします。

 会社の研修では、講義型・受身型・先生主体の学習から、積極的・主体的に考えて工夫することへの転換に大きな時間と労力がさかれているのではないでしょうか。

 また、推薦入試やAO入試などのエントリーシートには「部活動で共同体験をしている生徒」をアピールします。しかし、そんなことしなくても授業でALしていれば、身に着くことです。

 

 そもそも人間は、生まれた時「みんなアクティブ・ラーナー」だったはずです。

 ボタンがあれば押したくなり、ハンドルがあれば回したくなり、知りたいことがありれば近づいていったはすです。それが、大人との関係性の中で喪われていくのではないでしょうか。やがて空気を読むことが求められ、知らない人の前では黙っているという知恵を身につけ、価値観が重なる数人の友人と一緒に、価値観の異なる他者を排除するようになる・・・。

 こうして失われる「アクティブ・ラーナー」としての本能を取り戻す・・・今、学校が行う必要があるのは、こういう教育なのかもしれません。

 それが、教育の「育」なのかもしれません。

 

 いずれ書かれるであろう「その3」に続く