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国語授業のあれこれ

アクティブ・ラーニングや教材研究のための書庫です

自分自身も振り返ってみる その1

なぜALに踏み切ったのか、自分自身の心の中を整理してみようと思います。

 

1年前の春、現在の学校に赴任し、3年生を担当する時、それなりに張り切っていました。張り切ったのはいくつか要素があって、

 現代文では、封建主義~実存主義構造主義ポスト構造主義の流れにそって読解する眼をもったこと。

 古文では、読むことと分析すること、つまり読解と文法という二つの軸での授業の進め方がわかったこと。単元テストの実施なども同様です。

 で、その後、毎日、今日はやめよう、明日こそ辞めよう、今日の授業はダメだった・・・で一年間を送ることになるのです。

 

 当然ながら、私が伝えたい、やりたい・・・と思っていたことと、生徒が求めることが全くかみ合わなかったということですね。生徒が求めるのは、推薦入試で合格すること、卒業することであって、難しい評論文を読み解いたり、現代社会の問題点について考えたりすることではなかったのです。

 生徒にとって現代社会の問題点とは、高校や教員への不満であり、受験の不安であり、本人たちは気付いていないのですが、価値観が大きく変化する現代社会で、何を信じていいかわからない、あるいは、過去の成功体験が現在に活かされないこと、過去の失敗体験によって前向きな思考が停止してしまっている・・・そんなことではないかと感じました。

 

 夏休み以降、推薦入試の準備や専門学校受験が進む中、生徒たちの授業に対するモチベーションはほぼ0に近いものでした。だって「古典」ですもん(笑)。受験科目にないですからね。

 一方でクラスには、東北大学などの難関大学を目指す生徒もいます。2次試験でも古典がありますから、それなりのレベルを維持する必要もあります。

 学校、学年、進路部の対応はというと・・・私の眼には、AO入試や推薦入試に対するケアというのは見えなかったです。もちろん、校内選考を通り、推薦入試に出願する生徒には、学年で小論文や面接の指導をします。でも、1か月で何ができるというのか・・・。

 私の担当クラスは、AO・推薦出願の生徒が多かったので、本来年間計画にはない、過去問を利用しての小論文指導を実施しました(国語表現)。またAO入試は原則学校では指導しない・・・というルールを後から知ったこともあり、夏休み明けから、対策的な授業を行いました

 

 とはいえ、生徒の反応はよろしくないです。

 学校に対する信頼が全くないんですね。あと、AOなどの指導を塾でうけているようでした。また塾も、学校のことを悪く言うようです。生徒たちはエントリーシートなどの書き方を、前年度合格した先輩に聞き、そのままコピーしていました。

 そうでしょう。学校で指導しないのですから、外部に流れます。そして授業の空気はだんだん重くなります。

 年内に半分以上の生徒が合格、内定を取ったクラスの授業は、私史上最悪の空気でした。一般受験、センター受験、難関国公立受験の10名程度のための授業になるわけで、センターや私大の過去問の演習をするのですが、まぁ、もう、思い出してもつらい。このことに対して、学年の先生方は問題にしないので、自分だけのことと思っていました(古文でしたから)が、どうも、全授業そうだったらしいです(笑)。

 受かった生徒たちは完全に遊んでいる。世間話をしている。やる気ないモード全開なんですね。でも彼らにも言い分があるんです。自分たちの受験の時、学校や先生は何もしてくれなかったのに、なんで一般受験だけ一生懸命指導するのかと・・・。

 幼い疑問です。でも、そういうことになるのがわかっているのに、なぜ、その対策をしないのか・・・そういう疑問は、私の中に強く残りました。

 

 センターテストが終わった段階で、私は古文の授業で現代文をすることを決めました。年間計画からは外れますが、独断で決めました(これは、本当はいけないことです)。地元の私大や生徒が受験希望の大学の過去問をまとめてテキストにし、予習前提での授業としました。

 その中で、論理解法を説明し(これは、すでに合格した生徒にも必要ですから)、論理解法で正解を導きました。パワーポイントを活用し、また教室も広めの選択教室に移動して、自由席で実施しました。

 

 さて、本当にしんどく、毎日辞めよう、辞めておけばよかった・・・と思い続けた

1年を振り返り、講義型授業の終焉を決めました。

 ここの生徒の特長は、

  発信欲、自己表現欲求が高い

  自己肯定感の低さからと思われるが、他人の意見を聞きたがる、知りたがる

  話し合いの能力はある

  事実や他者意識の低さから自分の思考・感動にとどまり思い込みが強い

 などのことがわかってきました。

 これらの特徴は、アクティブ・ラーニング型授業に向いており、解決することが可能だと感じました。

 講義型授業で伸びる生徒もいますが、集団活動の中で自分を発揮して伸びる生徒もいる・・・そんなことに前任校で気づいていました。

 また、中学校がAL型授業や、グループワークを取り入れ、アウトプット学習を進める中、高校で学習不適応や不満を持つ生徒が出るのは、自分を表現できない講義型授業のためかもしれない・・・そう感じてもいました。

 長年の懸案だった論理解法はALでしか伝えることができないとも思いました。

 

 数年前に、河合塾のAL授業講座に参加しただけだった私は、勉強先を探しました。

 県内の学校の公開授業でALを見て、ネット上でALの取り組みを探しました。

 そんな中、アウトプット学習の講座を見つけて京都に向かい、ファシリテーション講座があると聞いて上京し、学び合いというALの方法論をネットで知り本を読みました。

 

 クリエイティブ発想、集団形成、学力向上、アウトプット学習など、AL型授業にはいくつかの方法論があり、大きく3つの流派(?!)にわかれているらしいと感じたり、これをどう授業に組み入れるか考えたりという日々の中、できるだけ、人に会って、勉強会などには積極的に参加しようと思いました。大人になると、勉強にお金がかかるのですが・・・それは先行投資として惜しまず使おうとも思いました。

 

 だんだんわかってきたことは、いろんな人が、いろんな形で取り組んでいるAL型授業というものは「未来」をつくるためのものだということでした。

 

 その2へ続く