国語授業のあれこれ

アクティブ・ラーニングや教材研究のための書庫です

学習会に参加して

いろんな人に話すことで、自分の中のもやもやが整理されていくという意味で貴重な時間でした。

 

ALについては、その目的、理論は確立していると思います。

あとは、その方法論になるわけで、しかし確立は個々の実践によるわけで、これは1~2年以上という長期的な展望が必要となります。

 

座学、講義型の授業形態というのは、授業とはこういうもの、先生が生徒に知識を授けて賢くするもの・・・という共通概念で確立されているわけで、ここにALが混じる・・・となると、当然、そこは確立されているわけでも、共通概念があるわけでも、まして、先生は教えない・・・というわけで(笑)、単純に授業を比べれば、ALの授業は、その達人以外は負けてしまうわけです。

 

ま、そもそも、ALそのものに正解はない・・・というべきでしょう。

もしあるとするならば、それは、授業ごとの書いてもらっている生徒の「振り返りシート」の内容と、考査や模試、入試で「結果を出す」ことで証明するしかない・・・そういうことのような気がします。

 

となると、学習理論、知の理論での武装が必要であったり、コーチング・ファシリテーションの技法を身に付けることや、何よりも正義についての認識や美しい個人主義への理解も必要になるのかもしれません。というか、私はそこからいくしかないのか・・・と思います。

 

常に「なぜ、why」を生徒に投げかけ、時に生徒の言葉を質問の形にする、或いは、教員が生徒に求めることを質問の形にする・・・抽象化していくと、そういうことになるのでしょうか。

 

ALは、上位2割、中間6割、下位2割の「2-6-2の法則」の活用が必要で、上位2割を導くことで、6割の中間層を上位層に導き、生徒集団の力学を使って、下位2割にモチベーション・必要性を持たせる、それは、自分が生徒集団の中で生き残る(サバイバル)本能を導くという理屈になる。

出来る生徒、わかる生徒を増やすことで、闇を消す・・・長所を伸ばすことで短所を消してゆく、そういう性善説になるのかもしれない。

 

そうか、だから性悪説論者とは、あわないんですね。

というか、生徒を信じるとは、俗にいう性善説なわけで、ここから信頼を築いていく・・・という、途方もない急がば回れなのかもしれません。

 

これは、エライことに足を突っ込んでしまった(笑)と後悔しつつ、幸い、年度頭から実施なので、時間はあるし、まぁ、3年生なので実質2月で授業が終わるという気楽さで、笑顔でやっていくしかないっすね。