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国語授業のあれこれ

アクティブ・ラーニングや教材研究のための書庫です

ここまで雑感

 グループ学習というよりも、集団形成を目的にもするALになっています。

 生徒に響いた言葉は

 「共同、協力して作業を行うことができるのは人間だけ。AIやロボットにはできないことだと思う」

でした。

 人間には、共感回路があります。だから群れて行動することができますし、集団で狩りや農耕ができたんですね。

 野生動物の映像を見た時、人間が一番恐怖をおぼえるのは、例えばライオンが群れで狩りをしている映像です。あるいは、ナウシカで「テントウムシのおばけ」みたいな生物が集団でこっちにやってくるシーンです。

 たぶん、人間が霊長類のトップに君臨できるのは、共感回路の存在によって「チーム」で行動できるからですね。人間以外の動物には、こうした回路がないか、あっても弱いので、小さな集団・家族という単位の集団くらいでしかチームが存在しないんだと思います。

 そんな話をしたら、生徒アンケートに、「人間しかできないことなんだから、もっと協力の輪を広げたい」という意味の言葉を書いてくれた人が結構いました。

 

 さて、そんなALなんですが、約40名のクラスが取り組んでいる様子を見て、ふと思いました。

 

 人間には「善意」「悪意」の二面性があります。

 ALは、人間の善意によって成立する学習方法なのかもしれません。

 だから、ALの達人の授業・クラスから育つ生徒は、善意・ポジティブなとらえ方を自然に身につけることになるのかもしれません。

 AL授業に失敗し、挫折し、苦労を経てAL授業を成立させた先生方の報告を読むと、「自分がALというものを理解していなかった、ブレがあった、方法論だと思っていた」と書いてあるものが多いです。

 AL授業における生徒の反発、周囲の無理解や抵抗は、「悪意」なんですね。

 で、授業者に未熟さとそれに伴う悪意があれば、生徒の中の悪意を呼び覚ましやすいと思います。

 悪意が呼び覚まされないほど、完璧な準備・・・。

 なるほど、慣れたり、うまくいったときの成功体験を繰り返そうとした時の失敗は、完璧ではない準備による、生徒の悪意の喚起なんですね。

 

 今、善意に満ちた教室の中に、悪意・不安・疑問などが散見されます。

 生徒たちは、それは先生が解決すること・・・と思っているかもしれません。

 そういうものに対して「これでいいのかな?」と投げかけることも必要かもしれません。不安や疑問を「質問の形にして投げ返す」ですね。

 

 私はよくないと思う。私の指示や提案を、悪意で解釈しているならば、それを改めて欲しい・・・そういうことかもしれません。

 それが、公共倫理、集団生活というものではないでしょうか。

 ここにALの意味と課題とが同居しているような気がします。