国語授業のあれこれ

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西洋の価値観が・・・

 日本の近代は、西洋化でもあることは良く言われます。

 もし、それが本当ならば、私たちは、西洋の価値観に基づいて評論文を読み直す必要があります。

 国語の教科書に掲載されている、あるいは受験で出題される評論文の作者は、それぞれ、ヨーロッパの文学や思想を背景にもっています。イギリス・ドイツ・フランス・ロシア・・・などなど、いろいろありますよね。

 で、例えばこれらの国は、カトリック(フランス)、プロテスタント(ドイツ)、英国国教会(イギリス)、東方正教会(ロシア)・・・というわけで、「キリスト教」で単純に一括りにするわけにもいきません。

 神・宗教に対する関わり方・・・が、各国に「近代」にも影響を与えていると思います。例えば「自由」「平等」「博愛」とありますが、フランスは「平等」を大切にする、アメリカは「自由」を重要に思う・・・と聞いたことがあります。

 昨今、イスラム過激派のテロがフランス圏で発生するのは、フランスが「平等」を守るために行っていることが、イスラム過激派には「自分たちだけが・・・」という思いを抱かせるからかもしれません。

 フランスでは「学校に宗教を持ち込まない」としているそうです。これが「フランスの平等」の発想なんですね。カトリック国フランスでは、教育の場で十字架(のついたネックレス)を身に付けるのダメなんですね。これは、個人の信仰の自由を守るための逆説的措置なのでしょう。ですから、イスラムの人々も、その衣装で登校することができないのです。しかし、イスラムの戒律では、それは、やっぱりありえないわけで、そもそも「信仰の自由」ってことが、イスラム過激派には許容できないことかもしれないわけで、そうなると、フランス圏でテロが起きてしまうと考えることができます。

 つまり、近代西洋、西洋キリスト教の価値観に基づけば「平等の国フランス」で、テロはないはずですよね。

 しかし、イスラムの価値観からすれば、イスラムの戒律に最も理解のない国フランスになるわけで、こういう価値観のすれ違い、二面性が、まさに近代なわけです。

 では、どうしたらいいか・・・というのが、現代社会の問題・闇・論点なわけです。    平等は近代・西洋・キリスト教の価値観でしかない。そして、地球を単位とした多数決を取れば、近代西洋は負けるわけで、でも、平等は間違った発想ではないわけで、というか、平等がダメなら、封建に戻ってしまうわけで、そういうわけにはいかないので、では、どうすれば・・・ってことになるのだと思います。

 つまり、平等を見直す、イスラムの価値観を正しく理解する・・・ってことになるのだと思います。これを、未来を基準に考えていく・・・そういうセンスが求められているってことなんだと思っています。

 話が広がりましたが、そんなこんなで、日本は西洋を学びながら現在にいたったわけで、そして、日本の知識人にとって、西洋を理解するということは、非常に困難なこと、コンプレックスを感じることだったと思います(少なくとも、今の50代以上は、そうだと思います。小澤征爾が、自らの生涯を「日本人が西洋音楽を理解できるかどうかの壮大な実験」と言うように)。

 また、西洋を学び理解する過程で、日本との比較という発想があり、そこから日本文化の気づきもあったはずです。

 このような大きなストーリーがあって、近代評論がある・・・そういう発想があってもいいかなと考えています。