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国語授業のあれこれ

アクティブ・ラーニングや教材研究のための書庫です

生徒の言葉

早い段階で疑問を解消した方がよい。

友達の答案を見て、自分の着眼点の間違いに気づいた。

間違い方にもいろいろある。

本文を自分勝手に解釈することを「主観」ということに気づいた。

みんなも自分も、だんだん意見が増えてきて楽しい

傍線部の周辺を読むだけではわかったつもりでも点数にならず、本文全体を読まないと点数に結びつかないことや、日々の読書が国語の学力になると感じたので、図書館に通います。

まず「問題」を理解することが大事ということがわかった。

自分の文章は、人に伝えるには「説明不足」ということがわかった。

本文は、何回読んでも見落としがあるので、繰り返し読むことを心がけたい。

選択肢をカンで選ぶのは主観、分析して考えるのが客観ということがわかった。

 

うちの生徒の学力は、普通に高いと思います。

でも、結果が出ません。その理由がわかってきたみたいです。

 

出題の意図を理解していなかった

本文を読んでいなかった

主観で読んで、カンで選んでいた

自分以外の人の考え方を知らなかった

答案は、全体に説明が不足だった

本文の背景にある価値観を全く知らなかった

答えの暗記が勉強だと思っていた。

 

というわけ。

でもこの「みんなで学ぶことで得られた気づき」が「個々から全員への共有」になっているような気がします。

となれば、ここを脱すれば、とんでもなく結果が上昇すると思います。

 

出題の意図を理解し

本文を全部読んで、全体の意味をきちんと理解し

事実と事実以外とを区別して読み、選択肢は客観的に選び

答案は、3つの部品で説明し、

本文の背景にある価値観を理解して

考えを深める

 

なんて素敵なこと!

でも、ALやってなかったらこんな大事なことに気づけなかったんですね。

 

生徒から学ぶことが多いのが、今年、ストレスが少し少ない理由かもしれません。

 

 

 

 

本文を読む

新しい授業のテーマは

「初見の問題を解けるようになる」です。

 

では、どうしたらいいですか??と生徒に問いかけてみました

 

「本文を全部読む」「傍線部周辺だけでなく、本文を全部読む」「本文をきちんと理解する」・・・。

 おまえら! 本文読まずに問題解いていたんかい!! と愕然としましたが、ここには二つの反省があります。

 

 私も、テクニック的に設問を解く時、つまり傍線部の問題=ミニマムの設問を解説するときは、全体の流れよりも、傍線部周辺から解答を作っていました。

 もちろん、それでいいのですが、全体の流れを背景にした解説・・・ではなかったです。という反省。

 

 もう一つは、このことの生徒も私も気づけたことです。

 気づかなかったな・・・今までの授業では・・・。

 本文読んでいないなんて・・・・。

 

 で、ここからですが、生徒への意識として、

 本文を読む~答案として再構築する~本文を理解する

 という流れを作って行こうと思います。

 キーワードは「再構築」ですね。

 先日、そういうノート作りを古文でやってみました。

 現代文では、「構造図を作る」とかをAL授業の実践でやっていますが、私はこれを「トゥールミン・ロジック」でやってみようと思っています。というか、やっています。

 そして、生徒の「演習~採点~説明」という流れが「読む~書く~話す~聞く」に重なってきていますので、これに本文の再構築として

 「事実と事実以外」「客観と主観」の区別~「事実~説明~結論」(トゥールミン・ロジックの形」に集約する方向ので再構築を考えています。

 

 義務的暗記から抜け出すためには、思考による再構築がよいようで、それは、過日の生徒で、生徒たちが本文の内容を「自分の体験にあてはめて説明する」という行為で可能にしていました。

 これを、進めたいと思います。

 

 授業には、どうしても指示語などの基本的読解も含まれるのですが、生徒にもっと思考を深めてもらうように導きたい・・・そう思います。

 

 

授業の振り返り

新しい単元に入っていきます。

感じるのは、生徒の成長かな

もちろん、問題点も赤裸々に出てきます。その解消の方向性を・・・

 

1 thinkーpairーshare

 自分の頭で考える、ペアで考える、グループで考える、みんなで共有する

 これ、アクティブラーニング型授業のセオリーの一つですが、生徒の様子はグループまで進んでいます。あとはshareですね。

 もちろん、ここが大きな壁になりますが、ここまで来ていることを生徒に伝えようと思います。

 

2 読むー書くー話す-聞く

 4つの言語活動がなされています。

 採点しながら説明する・・・が入ると、もっと探求に向かうような感じです。

 

3 固定的人間関係と流動的人間関係を構築する

 固定的人間関係の中に、説明・解答がない場合は、流動的人間関係で動くことが必要です。この流動的人間関係が、徐々にできてきました。

 心配していた苦痛を訴えた生徒、一人で演習していた生徒たちが、自分で動いてくれるようになりました。グループの後ろから近づいて、話を聞き、採点や討論に参加してくれるようになりました。

 時間内に解き終わらなかった生徒も、時間配分を考え、解く時間のペース配分を考えてくれるようになりました。

 

4 私の失敗

 生徒が解く~採点し合う~討論するの流れを理解し、討論の時間を保証すること。

 討論が物足りない・・・という生徒が増えてきました。

 

 設問によっては文字数指定をすること。

 その方が、生徒が混乱しない場合もあるようです。

 

 一人だった生徒が動き出してくれたこと、それを受け入れ、普段の人間関係とは異なる同級生と採点・討論が可能になってきました。いわゆる、孤立、誰とも何もしないで授業が終わる・・という生徒は、いなくなったと見てよいようです。

 となると、やはり、流動的人間関係の構築ですね。

 正解が、固定的人間関係の中にないならば、旅に出る必要があります。

 ただ、生徒も、いろんな解き方やいろんな正解があることを知ったので、その点から進めてみるのも方法か。

 また、演習授業では、選択肢を根拠をもって選ぶことができる生徒が増えてきました、これがうれしいです。

 トゥールミン・ロジックも、だんだん共通言語化してきました。

 

 あと、義務から自由を生むことも大事ですが、自由に義務を含んでしまうことが、output学習の「幹」になるのかもしれません。自由と義務との相互承認ですね。その方法やはじまりはどっちでもいいので、相互承認になることが大事みたいです。

 大切なのは、幹で、今は、生徒に本質に誘導すること。

 テーマは、初見の問題を解くことができるような学習方法への改善です。

 この意識を持つことができれば、じっくり変化が可能かもしれません。

 そう「初見の問題を解くことができること」

 ここに、私のAL授業の大きな目的と本質がある・・・そう感じました。

 

 

 

志望校を母校にする

というキャッチフレーズがありました。

これ、個人的に好きなんです。

 

今の学校は中堅進学校です。

生徒の学力の幅は広めで、東北大学希望から勉強嫌いまでいます。

状況的には、地元私大のボーダーラインです。

得意教科の力はトップ校並ですが、総合点をそろえることは苦しいです。

そんな生徒たちは、高校受験の経験をそのまま大学入試にあてはめています。ですから、偏差値序列で大学を選びます。つまりみんな地元私大(笑)。

自分はこんなもんってことですね。でも、東北の地方都市にある大学の数は限られているわけで、で、そこからあふれる・・・と思った生徒は専門学校に流れていく・・・そういうシナリオがあるような気がします。

 

上位の生徒に、地元私大以外、難関国公立や首都圏私大を希望してもらわないと、詰まってしまうんですね。

でも、ある意味で上位の生徒は頭がいいので、確実に地元私大を狙ってきます。

さて、この思い込みから解放して、志望校を母校にしてもらうことですね。

 

できる、だいじょうぶ、受かるから…

だから、一緒に、計画を練りましょう。何をすべきか考えましょう。

まずは、センターからよ。

っていうプリント配ったけど、生徒の心には届いていないか・・・。

もう一度・・・だな。

現代文も最初の単元が終わる

 というわけで、新しい単元に入ります。

 全体に、主体的というのでしょう、前向きに進んでいくクラスと、ちょっと停滞気味なクラスがあります。

 自分の答案が、もっとわかりやすい言葉に換言されて帰ってきた

 自分の体験と結びつけて考えるとわかりやすかった

 わからない部分をいろんな人に聞いたら、説明のうまい子がいて分かった!

 わからないを共有することで理解が深まりやすかった

 わからないを埋め合わせると、わかるになる

 わからないことをぶつけあうと、答えが出る

 みんなで話し合って深まってゆく楽しさを感じられた

 説明しようとすると理解ができた

 抽象的な表現を具体的にするとわかりやすくなることがわかった

 教える、教えられるの関係の中でどんどん理解が深まったと思う

 いろんな解き方があることがわかった

 教え方のうまい人のまねをして、自分のものにしていきたい

 図や絵を使うとわかりやすかった

 

 というわけ。

 面白いのは、指示したわけではないのですが、たとえ話や図式化による説明が、各クラスで、同時に、自然発生的におきていること。こちらは指示していませんが、生徒の中から、共通の方法論が同時に自然発生するのは面白いです。

 これは、今後の展開が楽しみです。

 説明が上手になる、説明でわかる・・・そういう体験を積む、学習することで、クラスが混じってゆく、できれば自然に混じってゆく・・・そう進んでくれればいいなと思います。座席を「自由」にしているのは、いろんな人と関わるための自由であり、自分を成長させるための自由です。この与えられた自由を、自分の自由にしてくれると、かられは、本当の自由、新しい時代の自由に出会うのかもしれません。

 

 さて、今日も頑張ります

 

選択古典の状況

 今年は3種類授業を担当しています。

 現代文中心の中、一つだけ、選択古典Aを持っています。

 今日から、新しい単元。

 前の単元は、コツコツと文法演習を行い、最後に単元テスト、ノート作りで終えました。で、今日は・・・

 

 本文初見で、主語の把握、指示語の指示内容の把握、心内文の掘り出し・・

 これが、結構時間かかるかと思いましたが、早い!!

 正解率も80%以上ですね。

 そして、ここまであまり活動的でなかった生徒が動き始めました。

 生徒同士の会話を聞くと、あらすじの説明までしていました。

 また、なんでこの主語が天皇なんですか・・・という質問に「だってこれ、敬語で謙譲語じゃん」と言えば「あああああ」とわかる、通じるようになりました。いわゆる、業界用語で会話できるようになったんですね(笑)

 

 まぁ、教科の書の本文がやさしめ・・・ということはあるのですが、それでも「古文が読めない」「わかんない」と言っていた生徒たちが、主語を読み取り、あらすじを説明し合っている姿は、感動ものでした。

 やはり、読む~書く~話す~聞く・・・という言語活動が活性化すると、成長する、力がつくのかも・・・です。

 

 一方、選択の国語表現は、今日は少し講義。

 論理解法で本文を整理するとこうなる・・・の提示です。

 振り返りシートには、説明があってよかった、生徒同士の会話では不安・・・とありました。

 生徒同士で理解することができるようになってほしいのですが・・・

 でも、講義でわかるというのは、やはりここまでALで理解を進め、疑問点がはっきりしているからではないかと感じます。

 生徒同士で理解できない部分、わからない部分をはっきり自覚しているから、講義に対する集中力はなかなかです(当社比)。

 という、今日は前向きな心境。

 やはり、基本を忠実になぞって演習問題を作り、それを説明し合う時間を長くとることが活性化になるのですね。

 そうすると、教え合うことで「わかる」を共有するだけでなく、「わからない」を抽出する段階になっています。これは、楽しいですね、この抽出された「わからない」を解決することまで進めば、生徒は、集団としても個人としても、大きな成長を遂げると言えます。

 つまり、私は邪魔せず、がまんがまん。

最近の疲労の原因・・・・

新学期が始まって約1が月半。

ちょっと疲れ気味です。

いや、朝は7時過ぎに登校して仕事や準備をし、4コマ~5コマの授業を行い、放課後は生徒の相談を受けたり授業の準備をしたりと、元気なんですけどね。

今日は、今、実は都内にいて、これからコーチングの研修を受けたりします。

さてさて、疲労の原因は何だろう、この感じは何だろう・・・と思ったら、それは、毒を浴びたことでした(笑)

 

うちの学校の先生方は、みんなとても素晴らしい先生方で、理想も高く、立派な方々です。でも、その一方で、生徒が理想通り動かない、勉強しない・・・となると、「うちの生徒は…」となります。

結構、あれもだめ、これもだめ、全然ダメ・・・って感じの発言が多く、これが愚痴や謙遜とわかっていても、結構しんどいっす。聞く側は。

 

先生方、結構、即効を無意識に求めているようです

すぐに、できるようになってほしいのですね。これは、私も気をつけます。

 

あと、提出期限を守ることの指導や、やらせる・・・ってことに熱心で、それはルール、マナー、秩序として大切なんです。

で、毎週、軽めの小論文課題が出るのですが、これが・・・内容がない文章を生徒が書いてくるんです。なぜか・・・

「やれ」「出せ」なんですね。木曜日に出た小論文の課題を金曜日に提出ってすごくないですか??

これを2年間、強制で行うと、生徒は「本文のコピペ」「自分の知っている知識」を羅列して字数を埋めています。そこに、取材(材料を集めること)、事実に基づいた思考(一番言いたいこと)は存在しません。

これは、いかんですよ(笑)

間違った方法を憶えています。

やはり、何かをさせる以上

「意味」「目的」「その後の未来」「具体的方法」を指示しないと厳しいのではないでしょうか・・・。

ALを始めた時というか、これはALやらんといかんぞなもし・・・と決意したとき、私の中には「日本の未来」「目の前の生徒の危機」がありました。もし、このまま講義式授業、生徒が受身のままで終わる一年を送ったら、絶対にやばい。でも、ここの生徒は、きっとアウトプット欲があって、つよい仲間意識があるからいける! そういう思いがありました。生徒の長所にかけてみる・・・そういう感じです。

実際、細かい問題はありますし、深刻な場面もありますけど、やはり生徒の成長を日々見ることができるというのは、ありがたいですし、うれしいです。

 

で、昨日も、今日も、会議があったり、職員室でおしゃべりしたりするんですけど、どうも、うちの生徒はできない、わかっていない、どーせだめの三連発なんですね。

 

こう・・・楽天的に、根拠のない自信をもって、前向きにと思います。

あと、生徒に主観的な考え、思い、信念、あるべき姿を語るのはやめます(反省)

生徒に必要なのは、事実ですね。

事実が集まれば、自ずから結論が出るわけで、事実を知らずに考えるから、先生方を怒らす結論が出ると言えるでしょう。

 

進路指導部としては、事実を伝え、事実を分析して、生徒に伝えようと思います。

また、生徒の本当の希望・・・を叶える努力、つまり一緒に実現の方法を考え、伴奏することをしたいと思います。

その一方で、生徒の自立学習を導くために、AL塾の開設を、ちょっと考えて、相談して、実現に向かいたいと思います。

 

来週、若手と食事するので、その時かな・・・

そこに、教員が「教える」のではなく「導く」形でかかわることができれば・・・という夢ですね。

はい。